はじめまして。
シングルマザーとして子どもを育てながら、35歳から看護学校に通い、なんとか看護師資格を取った さこ と申します。
こうして言葉にすると、「強くて前向きな人」と 思われる方もいるかもしれません。
でも実際の私は、
メンタルは弱いし、職場に馴染めず転職も4回。
どこに行っても長く続けられない、“ダメダメ看護師”だったんです。
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(1)私は、どこにでもいる普通の母で、弱さを抱えた看護師でした。
最初の職場は総合病院。
「経験を積むなら総合病院がいいよ」という学校の先生の助言をそのまま信じて就職しました。
小さな子どもがいる私は夜勤免除してもらい働いていました。
でも残業は免除されず(当たり前ですよね((+_+)))
処置、記録、計画、入院受け入れ、申し送り…
目の前の仕事に押し流される毎日でした。
新人の私は一つひとつの処置にも時間がかかり、
プリセプターさんの助けを借りるたび、
無力さで涙が出てくることも度々ありました。
体の疲れも全然取れないまま、
「辞めたい…辞めたい…」と呟きながら、、、
私は3年務めて限界がきてとうとう辞めてしまいました。
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(2)挫折──試練は次々とやってきました
総合病院の次に働いたのはクリニックです。
点滴、注射、内視鏡…学びは多く、自信が少し戻りかけました。
けれど、しばらくたってから透析へ異動になることとなります。
ここで私は2度目の挫折を経験します。
患者さんの腕へ太い針を刺す穿刺のストレスで、胃潰瘍を発症してしまうことに。。
「このままでは倒れてしまう…」
そう思って、透析に移動になってから半年で退職してしまいました。
次に選んだのは訪問看護です。
土日祝休み、日勤のみの
条件だけで安易に選んでしまいました。
でも在宅の現実は、私の想像を超えていました。
末期がん、認知症、独居、四肢麻痺…。
私一人の判断に重さがのしかかり、
オンコールも増え、
現場でパニックになることもありました。
3年働いたけれど、
「私にこの仕事は向いてないかもしれない」
その思いが、胸の奥に根を張るようになりました。
そもそも私には看護師が向いてないのかもしれない。。。
看護師になってからずっと思い悩んでいたことでした。
でも“生活の為には看護師の仕事しかない”そう思っていました。
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3)転機──真っ暗な毎日に、小さな光が差し込んだ瞬間
心も体も限界だな…と思っていた頃、
私はまるで先が見えない暗い道の中にいるような気持ちでした。
どこへ進めばいいのかもわからない。
立ち止まっても、戻ろうとしても、力が出ない。
泣く気力すらなくなる日もありました。
そんな状態の中、
私はある“指導者さん”に出会いました。
その方は、私の状況を丁寧に聞いてくれて、
「看護師として働きながら、副業で収入の柱を増やす」という働き方を教えてくれました。
ひとりでは気づけなかった選択肢です。
そこから、指導者さんと一緒にブログ作りを進め、
少しずつ形にしていくうちに、
「私にも、看護以外の道を持てるんだ」
そう思えるようになりました。
看護を辞めるのではなく、
負担を減らしながら“もうひとつの道を持つ”。
その考え方が、私の中で小さな光になったんです。
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(4)新しい日常──2つの働き方を持つという安心
今の私は、介護施設でパート看護師として働きながら、
空いた時間にブログを育てています。
パートでも看護の責任はあります。
でもフルタイムの頃よりも心はずっと軽く、
ようやく「呼吸ができる」と感じられるようになりました。
利用者さんからの「ありがとう」は、
私が看護を手放さなかった理由でもあります。
そして、指導者さんと一緒に作り上げたブログから
少しずつ収益が出るようになり、
「これからはもっと自由な働き方ができるかもしれない」
という安心感も生まれました。
今の私は、看護とブログという“2つ収入”で生活しています。
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(5)わたしの想い──あなたにも、ちゃんと選べる道がある
このブログは、かつての私と同じように、
・家と職場の往復だけで毎日が終わる
・休みは疲れて寝るだけ
・子育てと仕事の間で潰れそう
・看護が好きなのに、働き方が合わなくて苦しくなる
そんな方に向けて書いています。
あなたは弱いわけではありません。
ただ、私と同じように“ひとつの働き方”しか見えていなかっただけです。
働き方は、いくつも作れます。
迷っても、止まっても、また進めます。
あなたの人生にも、
まだ選べていない“別の道”が必ずあります。
このブログが、
あなたが新しい一歩を踏み出すための
小さなきっかけになれたら嬉しいです。
さこ